2024年8月1日(木)
暑さもピークに達している。千里は安富へ薬を貰いに行く。夏野菜も日照り、高温で生長しない。草だけが勢いを増している。焦らなくても冬には枯れる。ナンキンを取り入れる。スポーツの世界も周囲が思い描き期待するようにはいかないものだ。日銀の植田総裁が少しモノを言うだけで市場は凄い反応を見せる。最先端量子科学が示す新たな仮説である田坂広志著「死は存在しない」を興味深く読む。
2024年8月2日(金)朝室温30℃湿度72%
エアコンがあればこそ少しは眠ることができる。日本国中誰もがこの夏の暑さにはまいっているだろう。人間の生存が脅かされる気候になりつつあるのではないか。鋸歯で10分ほどイチジク畑の草刈りをする。若桜までドライブと買い物、昼前に帰宅できた。ダムのあたりで31度C家の倉庫で昼前に35度C、午後には37度Cを超える。図書を返却する。
2024年8月3日(土)
早朝にキュウリやナスを採取する。千里は墓を磨く(しなくてもいいのにと思うが)キュウリの支柱片付けに着手、カボチャを採取する。倉庫で37度Cを今日も超える。夕方に久しぶりの雷雨。ガソリン給油。この暑さに子ども達や孫達は耐えているのか、いや日本中の人が耐えねばならない。
2024年8月4日(日)
私はお宮の掃除、千里は火魂神社の草引き。老人会長の空気の読めなさにはあきれる。草引きをせずにブンブンとブローで落ち葉を掃き散らすばかり、後の慰労の挨拶も堅物ぶって心が無い。こんなことだから息子や娘が未婚のままでいるのだろう。可哀想な人間である。午後予報通り雷雨が降る。気温が瞬間的に10度C下がる。その間にキュウリの支柱を片付ける。康成が創君の処を訪問した写真を見る。
2024年8月5日(月)
昨夜はエアコンなしに眠ることができた。声を単なる空気の振動とみなすことは理屈ではわかっていてもその振動に対して過敏に反応してしまうのである。キュウリ残滓処理、マルチをはずし、大草を少し刈る。千里は墓掃除に行く。株価が急降下、このことはいつか来るので調子にのらないほうがいいと私は思っていた多くの投資家が地獄をみるだろう。投資というものはもともと博打と変わらない。堅実なのが一番。
2024年8月6日(火)
喫茶「宮山」に水墨画作品を掲示。同じ出すならもう少し性根を入れて描いた作品にしたいものだと反省する。メンバーの集まりによくしゃべった、これも反省。今日も灼熱の一日。何もできない。田井夫婦4時ごろ来宅(見舞い返し)夕方涼しくなってから自然薯畝のまわりを管理する。
2024年8月7日(水)
朝の涼しい間にキュウリとナスを収穫する。百歳体操に千里は参加する。田井へ寄り、コスモスにてビタミンなどを買う。今日もカンカン照り。夕方に少し身体を動かす。
2024年8月8日(木)
光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨。朝方思うには歴史は勝者の記録であって事実を記載したものではない。ということだ。日本は米国を相手に戦争をして負けた。今でも数万人の無辜の民衆を殺戮しているイスラエルを欧米各国は自衛の戦いであると擁護している。日本も負けたので侵略国の烙印を押しつけられ広島、長崎に原爆を投下され、幾万人を殺戮された。しかしそれを勝者は当然のこととして謝りもしない。それが歴史という記録の現実である。上の田と中の田に繁茂した大雑草をトラクターでかきまぜる。大馬力のトラクターがあればこそできる作業である。
2024年8月9日(金)
涼しいうちにナスとキュウリを採る。千里は初盆のお供えを買いに行く。キュウリの残滓を焼却する。教員生活回顧は安富中学校まで記述する。カボチャの残滓処理に着手。
2024年8月10日(土)
あたりのようすがお盆の空気になってきた。カボチャのマルチ外し、サトイモ谷草刈り(これが朝の作業)。サタディサンにてお茶飲む。コープにて少し買い物。今日もカンカン照り、屋内にこもるしかない。ナス、キュウリに給水する。
2024年8月11日(日)
朝早くキュウリとナスなどを収穫する。盆前には食彩館で盆花を出荷する人、買い求める人が列をなしていたが今朝はさほどでもなかった。キュウリを20袋余り出す。カボチャの跡をトラクターでかきまぜる。報徳が優勝候補にあげられながら島根の大社高校に初戦で敗れた。島根の投手がよくて打てなかった。野球は流れでどう転ぶかわからない。大谷もこのところスランプ気味だ。
2024年8月12日(月)朝室温27℃湿度68%
カボチャの後のマルチや周囲の草の処理をする。清吾のバッカンに捨てさせてもらう。千里は部屋の掃除。夏野菜に給水、ブルーシート片付け、イチジク畑を少しだけ草刈り。オリンピック終了。
2024年8月13日(火)
朝は涼しくなってきた。早朝暑くならないうちに少し行動しておく。無限の時間の中で焦ること慌てることは愚の骨頂である。墓地の草刈りを岸脇君がしてくれていたので参道を掃く。盂蘭盆を迎え哲学と宗教の私見:自分の身体を作った因は父母であり、遡れば無数の先祖も因であると思っている人が多いと思う。でも本当の因は阿弥陀如来であり、父母、祖先はさまざまな縁がある中で最も深い縁、言わば深縁ではないかと思う。生まれてから食した膨大な食物、水分、肺から取り入れた酸素も私を今あらしめている縁である。米櫃の冷蔵庫のドアが開いて水がしたたり落ちて袋を濡らす。慌てて米を入れ替えた。
2024年8月14日(水)
盂蘭盆会。田坂広志氏の量子科学の仮説ではないが我々の意志が脳神経で作られるとしても神経をつくる物質(粒子)により意志がつくられるシステムは不可解のままである。ニワトリと卵のようにいつまで先に繰り返しても決着はつかず無限遠では科学も宗教に依らざるを得ないのではないかと私は思う。墓参して初盆の家(川崎、阪本、丸本)の仏前にお参りする。そのあしで父母の墓に参る。昼に新宮駅まで行く。29号線北行きは珍しいほどの車の渋滞であったが、帰りには解消していた。
2024年8月15日(木)
世の出来事は科学では説明できないことがある。盂蘭盆の日に先祖が川を遡って帰還されるというのが真言宗、天台宗のならわしでお精霊さんとして仏間を飾る。現代人なら科学的裏付けもないならわしをそのまま信じる人はいないだろう。一方浄土真宗では死者は仏となって常に私たちを身近なところにいて(私たちの体内にいて)私の安寧を支えているという教えである。これも科学的に説明できるものではないが、自分の微妙な身体の働きを思う時、説得力がある。孫達や娘夫婦が参集し賑やかな盆を過ごすことができた。
2024年8月16日(金)
昨日採っていたナスを出す。創君と康成と芙玖、聡子と暑い日を過ごす。外では何もできない暑さだ。
2024年8月17日(土)
キュウリ、ナスなど今夏、最終の出荷をする。聡子達は新幹線で帰る。娘達はお盆の家族イベントごくろうさまでした。おかげさまで誰もが健やかにお盆を過ごせたことは稀有な幸福でした。近所の家はどこも帰省客などなくひっそりと過ごす家ばかりなのが実情です。誰も先の事は何があるかわかりませんが今日一日を腹たてずに穏やかに過ごしたいものです。
2024年8月18日(日)
朝は涼しくなる。この間をぬって除草剤を田の周辺にまく。芙玖は10時発三宮行き高速バスで帰る。マックスバリューにて買い物。今日も日中は体温を超える気温、外へ出る事はできないのでTVやパソコンの前に居るしかない。来客はゼロとなり二人だけの日常となるが小さい目標を立てて過ごしていくことだ。娘夫婦や孫達が何かとチャレンジしているのがすばらしい。
2024年8月19日(月)
昨晩は蒸し暑かった(空が曇っていたのか南方から湿潤な空気がやってきたのか)。「母が常に子のことを気に掛け慈しむように阿弥陀如来は外部からではなく常に我の中に居て我を生かしている」というのが仏教なかんずく浄土真宗の教えであると解釈している。担々麺、ジャンボ餃子で昼食。ガソリン注油。ネギ畝まわり除草
2024年8月20日(火)室温26℃湿度72%
昨夜来久々の降雨。土が乾燥しきっていたので畑物、雑草、木々が一息ついていることだろう。母の命日(17回忌になるのかな)伊和へ寄る。方丈記に現されるように人と住処は川の流れのように変化し続けるものだ。伊和でも相当ブイブイ勢いのよかった家が空き家となり断絶している家が多い。(中村関太郎、中村嘉右衛門、中村弥治郎その他)。ハクサイ、キャベツ、ブロッコリーの播種、ネギに施肥し管理機で土寄せをする。
2024年8月21日(水)
管理機とコマメにまきついた雑草の処理がなかなか手強かった。蒸し暑さが作業の邪魔をする。安垣で散髪をする。散髪代も値上げしている。何もかも値上げの傾向である。三林の世帯のうち非課税世帯で政府から給付金を貰った家は半数以上あると思う。今日も体温を超える気温、日中は外にも出られない。
2024年8月22日(木)
秋冬野菜の畝に化成肥料を撒く。隣のブラジル助人が早朝からエンジン音を響かせてけっこううるさいものだ。掌をみつめる、小指の曲がり方、短い指は亡き母とそっくり、中指、くすり指に節がないのは父ゆずり、5本の指が揃い指先には太短い爪が備わっている。この掌を創ったのは果たして誰なのだろう。母か、父か、いやそんなに器用でもなかった父母にそんな技があろうはずがない。じゃあ、ずっと果てしない祖先がこしらえたのか、これは偉い科学者だって納得いく説明はできまい。とにかく不可思議だ。年齢を重ねるに従ってタンパク質の摂取が大切だと言われる。タンパク質が身体の各部分をつくる材料として不可欠なのだろう。指先の爪はケラチンというがどのような仕組みでケラチンが体内で作られ爪や髪になるのか自分の体内での出来事なのに全くわからない。親鸞聖人は阿弥陀如来が常に私たちの中にいて私たちを救ってくださると説かれたが、まさに掌をみつめるだけで聖人の説かれた通りだと思うのだ。
2024年8月23日(金)
昨日は和田山のスシローへ行く。帰宅してから志水本家の仏参りをして美和や喜博と少し話す。夕方、春美が帰り賑やかに近況を話す相変わらず明るく活力がある。午後1時に室内で気温33℃、残暑どころではない暑さだ。眼鏡の件で片山君の店へ行く「目はよく見えとるで」と言われて安心する。遠近眼鏡の度をあわせてもらい新調することにした。秋冬野菜畝に施肥してコマメで鋤く。
2024年8月24日(土)
台風が来そうなので秋冬野菜の畝を管理機で整地する。今日も体温程度の暑さが続く。庭木の剪定に着手するが時間をかけてぼつぼつやろうと思う。氷上の兄が雅憲に連れられて伊和に立ち寄ったという。光が昼過ぎに立ち寄る。
2024年8月25日(日)
朝飯前に両腕と腰の筋肉運動を兼ねて作業する。庭木の剪定を少しだけする。まだ今日も暑い、隣家の稲が実って借り入れの準備、鹿柵の撤去など90を超えた婆さんにとっては激労働だろうと思う。昼前に福居夫婦が佛参り、順二も立ち寄る。ナスを収穫する。
2024年8月26日(月)
ナス、ゴーヤ、トウガラシなどを出す。栗の木の周囲草刈り、台風の進路がかなり西向きになり速度も遅くなっている。29日には関西圏に影響があるようだ。隣家が稲刈りをする。高田がブルーベリーをくれる。剪定、施肥する。秋ナスが収穫できるかどうか。上の田を耕運する。姫路まで出てヤマダストアや今宿食堂に寄る、出かける頃に台風影響に依る雲が出ていたが昼頃には消えて日射が強く都会の暑さは厳しい。本当にこの暑さはいつまで続くのか。庭のマツを剪定しようとしかが幹全体にコケがついて樹勢がもたないので根元から伐採する。(義父の還暦に鹿島神社で買った樹だが仕方がない)
昨晩はかなりの雨が降ったようである。小川の水が濁っている。ラウンドアップを下の田の周囲や道ばたの草にかける。下の花畑の中を草刈りする。台風10号が勢力を増して九州に迫っている。不気味な台風である。サザンカを剪定する、千里は米をふみに行く。暑さは相変わらず蒸し暑い。
2024年8月29日(木)
台風の速度が遅いのと進路が定まらないので世の中全体がやきもきしている。小雨で涼しいうちに下の庭、草刈りやモミジの剪定をする。一応ひととおりの剪定が終わり庭がすっきりした。
2024年8月30日(金)
まさに迷走台風である。気圧も992ヘクトパスカルに上昇し危惧された強風は免れた感じだ。速度が遅いのでこのまま衰えてまるで秋雨前線が停滞したようなことになるのかも。千里は安垣で散髪する。片山さんで遠近眼鏡を受け取る(5代目の眼鏡となる)剪定したモミジの残滓を処理する。
2024年8月31日(土)
葉月の晦日、朝から台風の余波でどんよりとしたうっとうしい空模様である。昨晩の夢は澄んだきれいな夜空を見て無数の星や北斗七星、オリオン座をみつめる高尚な夢であった。コープで食料品を買う。一時コープに客が少ない時があったが最近は駐車場がほぼ埋まっている。入り口の鹿網を修繕する。円地文子の源氏物語を読む。