2025年12月1日(月)
師走となった。年の瀬で慌ただしくなる。多くたまっている習字を書いた半紙を焼き捨てていたが、清掃用に使うことにした。キッチンペーパーの代用である。千里は安富診療所へ薬を貰いに行く。サヤエンドウ、キャベツの苗を植える。スダチを採る。
2025年12月2日(火)
億劫なことにはなるべく取り組みたくないという根本的に弱いところが今の自分にはあるのだ。それを仕方がないと思わずにまず着手することが大切である。大戦末期、絶体絶命混沌の中に放り込まれた同朋の気持ちになれば何事にも勇気をもってあたらなければ申し訳ない。高峰にてタイヤとオイル交換、田の周囲の草刈り、柚子収穫。7000歩
2025年12月3日(水)
「嗚呼ラッキー 盲木の浮木 我いのち」「延長戦 互いにラッキー つぶしあい」神戸新聞の川柳課題「ラッキー」に投稿する。安黒の堰堤を水墨画に描く。「もちむぎの館」にて昼食。旬彩蔵にて花苗を買い午後空所に植える。寒い風が吹いてきた、キューイとキンカンを採取する。6987歩
2025年12月4日(木)書斎気温5℃
倉庫で最低気温はマイナス2℃、天気予報が適中した。急に冬空となり朝は初雪が10cm積もっている。これでは散歩するも難渋する。簡保が来ていろいろと手続きをする。7051歩。
2025年12月5日(金)
我が命の故郷は不可思議(人間の考えの及ばない)なる根源的生命(南無阿弥陀仏)であるというのが親鸞聖人の思いであると解釈する。その世界から一時的に我々は現生に出てきている。まさに「生死一如」なのである。廣田医院にて薬を貰う。ダイコンを全部ほりあげて凍らないように土に埋める。キンカンを採る。7571歩。
2025年12月6日(土)
今日は高気圧に覆われて快晴の初冬である。先日の雪はすっかり消えた。外出せず。午前中は田でゴミを焼却する。柚子、キンカン、チンゲンサイを収穫する。キンカンはまだ完熟していないが凍るとくさるので収穫する。風邪や咳の出るときキンカンと氷砂糖を炊いて小さいとき飲ませてもらったものだ。8658歩
2025年12月7日(日)
老人クラブ、東八幡神社の掃除に出る。イチョウの葉と銀杏がバラスの上にいっぱい落ちて掃き掃除が大変だった。終わってから食彩館に自然薯、チンゲンサイ、柚子、スダチを出す。昼に光が立ち寄る。8,140歩
2025年12月8日(月)
中国の空母「遼寧」から発艦した戦闘機が自衛隊のスクランブル機にレーザー照射したという。高石内閣になってから反日感情が高まっている。様々な意見があり難しい情勢である。防寒の上着を買う。かなり遠距離をドライブし、散髪をする。納豆、牛乳、卵、みりんなど購入する。昼過ぎに帰宅し、休んだあとエンドウの支柱を立てる。9664歩。
2025年12月9日(火)
中国も困ったものだが高市と彼女を応援し、煽る極右勢力にも困ったものだ。戦争になれば彼らが前線で戦う覚悟があって言うのだろうか。中国は高市の発言よりも彼女そのものを嫌っており難癖をつけてくるような気がする。軽トラのタイヤを交換する。あおいが帰ってきて4時頃帰る。5700歩。
2025年12月10日(水)
弁当で砥峰高原へ行くつもりであったが中止する。パソコンのコードを整理する。キューイを採る。コマメの刃の根もとから潤滑油が漏れている。寿命がきているのかそれとも修繕が効くのか農機センターに行く必要がある。庭の木を伐採したあとに真砂土を3袋入れる。7393歩。
2025年12月11日(木)
正信偈の一節「証知生死即涅槃」の意味はかつて広島大教授であった白井成允氏の詩「いつの日か 死なんもよしや 弥陀仏の み光のなかの おんいのちなり」の心なのだろう。千里は料理教室に参加する。スダチを多く採るが何かいい用途がないものか。コマメの修理を農機具センターに依頼する。圭志朗が使っていた洗濯機の給水ジョイントをアマゾンに注文する。8,280歩。
2025年12月12日(金)
頻尿の薬が少しは効いているのか、夜間に2回トイレに行く。眠りが浅い時にはいろいろな登場人物が現れ、さまざまな夢をみるものだ。龍野までドライブする。たとえどのような分野でも自分の技量だけで第三者から価値を認められ多少にかかわらず稼ぐことができるのは並大抵のことではない。自分たち夫婦が出来ないことを娘たち夫婦はやっている。7,360歩。
2025年12月13日(土)室温5℃
今年の漢字は「熊」清水寺の和尚が書いた筆順がわかりにくいと思っていたが動画を見て納得。昼に西光寺の報恩講に夫婦でお参りする。厳かな読経のあと增井信師の法話を聴く。報恩、陰徳の話でわかりやすくいい法話であった。徳と得、自分が損することは相手が得することで損した方に徳があることになる。7115歩。
2025年12月14日(日)
赤穂浪士討ち入りの日。チンゲンサイ、スダチ、自然薯を出す。以前に買っていた糠を無花果、柿、ミカンの根もとに施す。私たちの人間の眼と阿弥陀仏の眼とでは見方が全く違うことに気がつかねばならない。歎異抄の一節「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」これは仏眼の見方であり絶対的な真理である。伊和へ歳暮する。8075歩。
2025年12月15日(月)
無為に過ごしていることを反省する気持ちがあるが、既に他界している同級生や自分よりも若いのに今は亡き連中、病院のベッドに臥している人と比べれば傘寿に達した自分の今の状態は何という有難いことかと感謝する。庭の楓の無駄な枝を伐採、タマネギに鶏糞を撒布する。7955歩
2025年12月16日(火)
鷹谷へ歳暮のお返しに行く。不在でとんぼ返り、丸亀で昼食。午後はハクサイつけものつけ直し、(すこし塩分が多かったかも)。タカナの糠漬け用を刈り取る。自然界には質量保存の法則、熱力学法則その他様々な法則がある。一迅の風、流水、生物の成長、天気現象など自然界のあらゆる事象がこの法則にしたがって進む。我々の行動、意志は自分で好きなように変えられると思っている(自然法則と関係なく)がすべて法則に厳密に則り、思いが浮かび行動していると私は思っている。7056歩。
2025年12月17日(水)
あまり歩きすぎないように気をつける。過ぎたるは猶及ばざる如し。田井へ歳暮、しばらく世間話をする。半紙に馬の絵を描こうとするが絵心のない者にとってはこれくらい難しいことはない。終日小雨が降る。人間は自分も含め己のことが分かっていない者ばかりだと思う。自己中心、自我のかたまりなのだ。命の究極の始まりは阿弥陀如来であり、ただ今も命の元締めは阿弥陀仏である。そのことを自覚できる人は少ない。誰もが自分は「生きている」と思い「生かされている」と思って過ごしている人は少ないと思う。4000歩
2025年12月18日(木)
この間の法話「損することは徳すること」まさにその通りである。阿弥陀仏は私に生命を与え、それを不断に支えて生命維持するための必需品(空気、水、温度、身体の諸機能)を無償で与え無言である。千里は社会大学に出席する。姉と清吾が沢山の歳暮を持って来宅。タカナ8kgの糠漬け(塩分は約4%)をする。サトイモの防寒対策をする。7277歩。
2025年12月19日(金)
いい天気なので和田山まで出かける。JAのスーパーで必需品を買う。夕方にサトイモを掘る。農協のカレンダーに食彩館福下店長の描いた管内で廃校になった校舎水彩画が載っている。御形神社の絵馬も福下怍ということだ、素晴らしい才能の持ち主である。姫路の熊沢さんがエッセイを送ってくる。仏教三法印の一つ「諸法無我」この世に我が物なぞ何も無い。命ですら我が生命ではなく如来から賜った「おんいのち」「おんからだ」であることをあらわしているのだ。5520歩。
2025年12月20日(土)
昨夜はあまりトイレに行くことは少なかった。外出せず。スダチを剪定しながら採る。これがミカンならいいのにと思う。熊沢さんから送られたエッセイを読む。豊富な読書で語彙が駆使され面白く読ませてもらった。今まで知らなかったことも知る。主人が春に間質性肺炎で亡くなったということ、10才の時お母さんが亡くなったことも知らなかった。5423歩。
2025年12月21日(日)
朝から雨降り、スダチと自然薯を出す。スダチは需要がない果実である。高校駅伝、学法石川が優勝する。西脇工業も持てる力は出したが及ばず。光が昼過ぎに立ち寄る。2610歩。
2025年12月22日(月)冬至
ユーチューブで「笑いのヨガ」を検索して実行する。大平哲也氏がPHPで「笑いは感情ではなくハッハッハッという特徴的な発声と笑い顔の二つの動作から構成される行動なのです」人間、感情を制御するのは難しいが行動なら可能である。糠を畑に撒布、カブラを掘る。スダチ剪定残渣を処理する。コマメの修繕が終わる。6756歩。
2025年12月23日(火)
「あらら!はやクリスマスが来たぞ」というのが正直な感じ。朝は冷え込んだが日中は小春日和、雑草を焼却する。修繕したコマメを試運転、快適な鋤きぐあいだ。漬物用にカラシナを収穫する。5393歩。
2025年12月24日(水)
クリスマスイブ、仏教徒、神道を信仰する多くの日本人が2日間キリスト教徒風になる(本当は商魂教徒)。杉ケ瀬のローソンまで出る。雨降りで戸外の行動はできない。ハクサイを塩漬けする。熊沢さんに礼状を送付する。結婚、満54年となった。三法印「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」を痛切に思う。4794歩。
2025年12月25日(木)
朝方の夢、伊和の山で柴栗をポケットいっぱいに拾った夢をみた。結婚満54年で外食する。終日小雨で戸外行動できず。フジテレビの心に残る100人という番組を最期まで観たが人選がおかしい。極悪人もスターもごちゃまぜ、サカキバラや麻原が大谷や長嶋と同じようにランクが上だと変な風にとる視聴者もいる。3700歩。
2025年12月26日(金)
予報通り寒波がやってきて朝から雪が降っている。千里は午後コーラスの打ち上げ会(主になってさまざま準備し、楽しくできたようでよかった)。終日雪は降り続いたが平地には積もらなかった。岸根は家屋敷、田圃も他人の物になり、秋ちゃんがせっせと作り置きしていた風呂炊きの薪も不用となった。もったいないのでもらう。6000歩。
2025年12月27日(土)
正月の帰省ラッシュとなるらしい。調味料などをマックスで買う。昼は少し寝ていた。スダチの枝を思い切って伐採する。岸根の薪をもらう。トラクターの充電をする。寒波は早く過ぎ去り積雪もなくよかった。5000歩。
2025年12月28日(日)
「帰命無量寿如来 南無不可思議光・・・」正信偈、御文章が無意識のままに口から自然に出てくる。これも不可思議である。関川夏央著「昭和が明るかった頃」1900円をアマゾンで1円(送料300円)で買う。この本によると吉永小百合のおばあさんは山崎の生まれで母の吉永和枝さんは幼少の頃、祖父母の住む山崎のお寺に預けられていたとのことだ。国民的女優のルーツの一端は宍粟である。小百合は誕生時、「めんどい」(播磨の方言)赤ちゃんで和枝は嘆いたという。スダチ剪定残渣処理、タカナの糠漬けを仕込む。6148歩。
2025年12月29日(月)
千里は正月の花飾りをする。古くなった糠を畑に撒く。スダチの枝葉を処理する。白菜漬けを漬けなおす少し塩分が多かったようだ。5406歩。
2025年12月30日(火)
放射冷却のせいか濃い朝靄に包まれている。水墨画、馬の絵を描くが絵心の無い自分にとっては馬が顔の長い犬になってしまうのだ。鷹谷からお餅を送ってもらう。夢前町前之庄出身の梯實園師の法話が素晴らしい。豊かな知識と思いで我々のような罪業深重、煩悩具足の凡夫でも納得できる法話である。「設我得仏 十方衆生 至心信楽欲生我国 乃至十念 若不生者不取正覚 唯除五逆誹謗正法」この第十八願もわかるように説かれた。
2025年12月31日(水)大晦日
2025年、令和7年も今日一日となった。自分達夫婦にとってはまずまず健康で大きなストレスもなく過ごせたことは有難く感謝の至りである。午前中にイオンにて食料品購入、昼前に田井義姉来宅、賢三さんが17日に自宅で腰の骨を骨折し総合に入院とのこと、これも義姉宅は大変だが諸行無常、自然の流れでいかんとも仕方がない。日常と何ら変わらない静かな年越しであった。
2026年1月1日(木)
あけましておめでとうございます。昨晩は普門寺の除夜の鐘は鳴らなかったようだ。朝の新聞も例年より少ない部数のような気がした。元旦、新年と言っても平常の一日にすぎないという風潮になっているのだろうか。昼過ぎに聡一朗夫婦が立ち寄る。沙希さんは午後の新幹線で帰る。冬将軍がやってくるようで夕方から冷え込んできた。こちらも一枚も出していないので年賀状は激減する。返事を書く。3022歩