2025年6月1日(日)
今夏は不思議なことにサクランボやジュンベリーにヒヨドリが来ないのである。去年までは熟すのを待ってヒヨドリが食べ尽くしていたのに全く来ない。キャベツを食彩館に出す。タマネギを収穫し根っこと葉を取り乾燥させる。今年も大玉のタマネギが沢山収穫することができた。
2025年6月2日(月)
自然薯パイプを追加埋設、雨の降らぬ間にタマネギを倉庫に取り入れる。風がやんだのでカボチャの覆いをはずす。グミにも鳥が来なかったので赤く熟したグミを賞味する。
2025年6月3日(火)
夜半から本格的な雨となる。いい間にタマネギを取り入れた。雨が降る間にお爺さん命日のお供え返しに鷹谷まで行きトンボ帰りする。帰途、食料品と昼弁当をヤマダストアで買う。午後タマネギをくくって竿にぶらさげる。雨が止みサツマイモの苗を植える。長嶋茂雄が亡くなった。
2025年6月4日(水)
新聞、テレビは長嶋茂雄追悼オンリーである。美空ひばり、石原裕次郎ら以来、昭和の大スター追悼である。いかに大スターでも諸行無常の波にのみ込まれ次第に忘却の彼方に消えていくのである。千里は百歳体操。自然薯パイプ4本埋設、栗林の草刈り、雨上がりなのでヤマビルが腕に噛みつく、血を吸われぬ間に見つけたのでよかった。
2025年6月5日(木)
千里は布団、毛布。洗濯物など多くの干し物をする。役場で料理教室に参加。栗林の草刈り、自然薯パイプ埋設(これでおしまい)。コマメで谷を鋤く。昼はハイシライスをつくる。千里は餃子。
2025年6月6日(金)
千里は安富へ薬をもらいに行く。栗林の草刈り(3日目で終了)自然薯、新たに埋設分にマルチをかけ、6本定植して支柱を立てる。シャープな文字を書かれている市川箐華(せいか)という人のインスタを習字の手本にした。今日は作業がはかどった。
2025年6月7日(土)
村上君から「やっぱりパソコンやスマホで見ることができないので写真を送ってもらえないか」と言う電話があった。キャベツ3個出す。今日も作業がはかどった。(エンドウの皮むき、夏野菜の新畝施肥整地、タマネギ片付けなど)
2025年6月8日(日)
梅雨に入る前の貴重な晴れ間を有効に使った。昼前に光が来てしばらく話す。ジュンベリーが熟れて、ヒヨドリのように啄んだ。神戸新聞に投稿する。たいてい載らないだろうが。
今夏はヒヨドリが来なかった
例年、初夏になるとサクランボ、グミ、ジュンベリーなどの実が赤く色づき、それらが熟すのを狙って多くのヒヨドリがやってきて食べ尽くすのでした。いくら防鳥網を張っても隙間から侵入しくやしい思いをしたものです。今年も桜が開花するころには蜜をねらって多くのヒヨドリが蕾や花に群がっていたので、多分今年も食べられてしまうだろうと半ばあきらめて防鳥の対策はしませんでした。ところが不思議なことにサクランボが真っ赤に熟してもヒヨドリの襲来はなかったのです。そして次に熟すジュンベリー、グミにも鳥はやって来なかったのです。おかげさまで甘酸っぱい果実を食べることができました。不思議なのでAIに尋ねますと①他の食べ物が豊作であった。②天候や気温の影響③ヒヨドリの個体数や移動ルートの変化④近隣の環境変化⑤果実の量が少なかった。などの要因が指摘されましたが、今も不思議だなと思っています。
雨が降らない間に夏野菜用の畝にマルチをかける。村上君に同窓会の写真を送付する。一宮イオンにて牛乳、納豆など買う。昼過ぎから雨となる。伊和に寄る。素麺は終了したとのこと。いろいろと知人宅の情報が入るがまさに諸行無常、栄枯盛衰、平家物語の序文の通りである。「おごれる人も久しからず、猛き者もついには亡びぬ」である。
2025年6月10日(火)
梅雨らしい一日。湿度が高いので身体がだるく感じる。ドジャースが延長戦で勝利したが大谷のホームランはしばらく途絶えている。自然薯の芽出しがうまくいかなかった原因は使った砂にありそうだ。山本が言ったように川砂ではなく塩分を含んだ海砂であったのかも知れない。とにかく根が生長しないのだ。
2025年6月11日(水)
PHPのクイズの葉書を投函する。千里は百歳体操に出席する。私はチンキ用のウオッカ、ハッカ油、電話のケーブル線、百均、墨汁など多種の必要品を買いに山崎まで出る。買いたいと思っていた物はほとんど買うことができた。村上君から写真到着のお礼の電話があった。昼には雨が止んで挿し芽していたトマトやオクラを植える。
2025年6月12日(木)
午前中千里は社会大学に参加する。正信偈の句、「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」煩悩まみれの自分にはとうてい気づくことはなくても如来は常に我々を大悲でもって守り生かそうとされている。そう言う意味の偈なのであろう。午後水墨画教室に出席する。仲井さん、藪川君、私も充分な年齢になっていると改めて思う。八木君宅が更地になるようだ。姉としばらく話す。清吾も万事多難である。
2025年6月13日(金)
一念発起、京都の弟宅を訪ねる。阪急三宮から十三へ十三から京都行き特急に乗って長岡天神駅、西向日で下車、グーグルで検索していた肝心の地図を忘れていたので家を探すのに難儀する。親切なクリーニング配達の兄ちゃんが居て、その子が教えてくれたので助かった。弟宅に3時ごろまで居て話しをし、家には6時過ぎに帰宅できた。
2025年6月14日(土)
梅雨空の一日。キュウリをほんの少し食彩館に出す。家にこもって畑のようすを見回るだけである。甥も数理が得意で宇都宮大工学部の大学院を出たそうで、私のDNAにも数理のスジがあるのかもしれない。伊和に寄る、広幸宅の話をする。清吾も元気そうにしていたので少しは安心。
2025年6月15日(日)
父の日ということで娘達から今年もプレゼントをいただき、有難う。今夏の梅雨は変則的な様子である。気温の変動、雨の降り方、梅雨前線の動きなど予報官も迷わされるような気がする。今日も大雨の予報であったが外れた。ポツンの86才がキュウリを沢山栽培していたが私も15本ほど植える。夕方に高嶋夫婦が来宅し、しばらく話して帰る。
2025年6月16日(月)
毎日が休日なので曜日が充分把握できないことがある。ケーキを買いに来る客の話を聞いているとさまざまで面白くドキュメントの短編小説にしたいくらいだ。エンツァイがネキリムシにやられている。キュウリの支柱を立てる。蒸し暑い室内で27度。
2025年6月17日(火)
今日も猛暑だ。山本俊や丸本はシルバーで草刈りに行っているようだ。高齢になってからはこの炎天下での草刈りはきつかろう。朝の内にキュウリの網をかける、雑草の草刈り、ジャガイモ掘り、除草剤の調合をする。昼過ぎに稲田の従妹が来る。梅雨前線が天気図上から消えた。
2025年6月18日(水)
早くも水曜日、百歳体操に千里参加、これも意義が薄れてきた。ジャガイモを掘りあげる。いいかたちのイモを多く収穫することができた。外野が何やかやと言うのがうるさい。伊和と田井へ行く。夕方除草剤を撒く。
2025年6月19日(木)
暑い!暑い故かパソコンまで言うことを効かない。朝のうちにジャガイモを掘った畝をコマメで雑草対策に鋤く。昼間は外に出られない。カボチャのしきりにメッシュを立てる。ネギ畝の施肥と土寄せ。
2025年6月20日(金)室温30℃(3時現在)
ネギとサツマイモの畝を管理機で土寄せする。キュウリを少し出す。習字と水墨画を描く。千里は切り干し大根や布団の袋をミシンで修繕する。摘み立てのローズマリーをチンキにする。ネギの土寄せ、トマト誘引。
2025年6月21日(土)夏至
車庫脇のススキを刈ってカボチャの雑草対策に使う。ポツンと一軒家の91才のおばあさんを見る。エンドウの支柱をはずすサトイモに施肥、カボチャの仕切りにメッシュを立てる。安積営農組合が管理している水田は雑草まみれとなっている。これでは早晩破綻するような気がする。聡子が突然帰ってきた。元気そうなのでよかった。離れているといろいろと気になるのだろう。
2025年6月22日(日)
キュウリ、ピーマン、セロリを早朝に収穫して食彩館に出す。今日も日中は曇り空であったが真夏の暑さが続いた。アメリカがイランの核施設をバンカーバスターで空爆した。アメリカ、ロシア、中国などの核保有大国の愚かな指導者が世界大戦、地球滅亡戦争の引き金を引いた感じがする。アメリカの同盟国、日本の立場が複雑である。
2025年6月23日(月)
昨夜から断続的に雷雨。熱波で乾ききった大地が充分湿る。作物も雑草も一挙に繁茂する。聡子は昼に帰る。蒸し暑さが戻る。エンドウの後始末をする。自然薯の芽出しは完全に失敗、砂が海砂であったとしか考えられない(根が勢いよく伸びなかった)