2025年7月1日(火)
月が替わりました。キュウリとヒマワリ(まだ発芽していない)を植える畝を整地する。こう暑くては野菜、果物や稲作によくない影響があるだろう。エアコンが効くので生活ができる。夜間は網戸から自然の風が入るので今のところ眠れないことはない。台所の蛍光灯の修理に川崎君にきてもらう。
2025年7月2日(水)
早くも水曜日、千里は百歳体操に出る。キュウリが高温、水不足で変形となり、そのうえテントウムシやカメムシ、ウリハ虫で全然ダメ。午後は雷雲にはさまれて雷鳴だけが轟き雨は降らず。
2025年7月3日(木)
さあ今日はどうするか。千里は安富に薬をもらいに行く。正信偈読経、ヒマワリとキュウリが発芽。畝を整地、下の躑躅を剪定する。安垣にて散髪する。今日は客が少なかった。雷雨を期待していたが今日も空振り。夏野菜に散水する。
2025年7月4日(金)
参議院選挙立候補者が公示された。いずれも口舌達者な政治屋をめざす輩ばかりと思える。世の中はしょせんなるようにしかならない。野党の言う「失われた30年」というフレーズが気にくわない。各国の賃金上昇のグラフを用いて日本は30年間賃金が伸びていないというが諸外国の物価も右肩あがりなのにその間日本の物価はほぼ横ばいなのである。最近賃金の上昇を言い始めた途端、物価も急上昇している。これはあたりまえの話なのだ。川崎君が台所の電灯を治してくれた。
2025年7月5日(土)
早くも週末。暑いことこの上なし。キュウリの杭を立てる。サトイモわき芽を取る。トウガラシを採る。昨日来の最高気温は倉庫で36度C、日なたでは40度にはなっているだろう。この高温の原因は単に二酸化炭素などの温熱ガスだけで説明できない何かがあるような気がする。ジャン ボール・サルトルの言葉「人生はBとDの間のCである」Life is C between B and D. -Choice between birth and death.まさにその通り、人生はChoice の連続である。
2025年7月6日(日)
自治会の天役あり。出不足金で対応する。高齢者が出役して病気や怪我の引き金になっては元も子もないので出役しないchoice(選択)する。夕方野菜に散水するが焼け石に水のような感じだ。
暑い七夕である。何年か前には「七夕豆」をこの日に蒔いて美味しい豆を栽培したものである。千里は午前中に中元を買いにイオンまで行く。日本中が炎熱状態である。暑さも大変だが雨がずっと降っていないので田畑や野山の乾燥が心配である。野菜類は枯れてしまいそう。朝の内にキュウリの3段目の網を張る。
2025年7月8日(火)
日中は暑いけれども夜は寝る前には30度Cだが、窓を開放すると27度くらいになってクーラーなしでも眠ることができる。都会ではそうはいかない。大阪で生活した時は夜間30度をきったことはなかった。昼過ぎから雷雲が近づいたが雨はごく少量しか降らない。キュウリのマルチに穴をあける、ヒマワリの幼苗を植える。
2025年7月9日(水)
外は耐えがたい暑さ。千里は百歳体操に参加する。そのあと薬師堂で秀子相手におしゃべりガス抜き。ピーマン、トウガラシを出す。暑い上にお宮の樹を伐採するクレーンが食彩館の入り口にいるので客は来ないだろう。昼間はクーラーかけ過ごす。
2025年7月10日(木)
キーボードの文字が打てないと思ったら電池が無くなっていた。パソコンやスマホは今や生活必需品だが一旦、不調の時はどうしょうもない。だから平和の時はいいけれど戦争にでもなればサイバー攻撃で国全体が一挙に機能不全に陥るかもしれない。
2025年7月11日(金)
キュウリを16本定植する。暑いので持たないかもしれないが何とか活着しそう。火魂神社の祭礼、悦也君、圭司、治幸、正幸、谷口正樹の嫁、大谷宮司と私がお参りに参加する。この祭礼も意味をなさなくなった。
2025年7月13日(日)
今日も暑かった。キュウリ、トウガラシ、セロリを出す。終日家から出なかった。光が夕方に寄る。野菜に散水。
2025年7月14日(月)
朝から曇天、昼過ぎから断続的な小雨で強烈な日射がなかったので終日27度Cくらいの過ごしやすい一日であった。キュウリなどを食彩館に出す。暑くない間に石倉ネギの除草を行った。
2025年7月15日(火)
夜半に降った雨は朝には上がっている。埃がたたないうちに栗林の草刈りやキュウリの支柱を立てる。暑いけれど屋内ではエアコンなしに過ごせた。多くの時間を室内でばかり過ごすのも退屈する。多くの人がこの酷暑をどう乗り越えようかと思っているだろう。
2025年7月16日(水)
昨日は採っていなかったのでキュウリが多くぶらさがっていた。食彩館に出す。小倉も来ていた。アメリカのオールスターを見る。世界の片方で血みどろの戦争があることと対比して人間の愚かさを痛感する。栗林の草刈り(2/5)、イオンにて調味料など買い入れる。
2025年7月17日(木)
予報通り朝から雨。小雨の間を縫って草払いをしようとしたがエンジン不調で断念する。終日断続的に降雨。千里は社会大学に出席する。BSでパミール高原にて放牧生活しているシムシャール村の人々のドキュメントを見たが、世界には想像もつかない過酷な暮らしをしている人々が多くいることを知らなければならない。
2025年7月18日(金)
朝には雨はあがる。水分をよく摂る、じっと座っていない、よく眠る。これが短命にならない秘訣だという。キュウリを出す。栗林の草刈り一応終了。太平洋高気圧が張り出して本格的な夏となる。
2025年7月19日(土)
夏本番となった。水墨画の題材となるような景色を探したがこれという情景は見いだせない。3連休で高速道路は渋滞しているようだ。参議院選挙の不在者投票を済ます。恐らく与党は過半数を割るだろう。石破さんも極めて不人気だが、そのことを承知しながら何ら手の打てない自民党も終わりだと思う。
ふれあい喫茶には行かず。サンデイモーニングを見る。落合と中畑が出ていたが両者の人間性が顕れて面白かった。サトイモとローズマリーの除草。夕方陽が入ってから花畑の草払い。日中は室内で過ごす。参議院選挙開票、与党が大幅に数を減らす。これが我が国にとって吉と出るか凶と出るか、国政がポピュリズムに偏して国力はますます衰退するだろう。
2025年7月21日(月)
誰もが予想していた通り、与党の惨敗。石破さんは続投するようだが思い切った世代交代をしなければ自民党は持たないだろう。会見の背後にいた菅、森山、鈴木らの面々を見ているとこれでは持たないと思った。
2025年7月22日(火)
キュウリ、トウガラシを出す。今年は食彩館には出さないと内心決めていたが畑の中でゴミとなり腐ると勿体ないので少しだけだしている。田井でトマトをいただく。一宮マックスバリューで買い物、除草剤を撒く。
2025年7月23日(水)
千里は百歳体操に参加する。倉庫で37度C、この高温では農作物もうまく育たない。トランプ関税が15%で日米交渉の決着をみた。
2025年7月24日(木)
水墨画教室の日だが先生が体調不良でお休みとなる。ほんのわずかだけ食彩館に出す。何年か前に工進という会社の手押し草刈り機とポンプを買ったが作業能率が悪くてほとんど使わないまま廃棄を考えている。まるでおもちゃのような農具なのだ。陽がおちてから散水、草刈り。
2025年7月25日(金)
天神祭りの日、子どもの頃相撲をとって祝儀を貰いキャンデーやかき氷を食べたこと、灯籠の絵にふざけたことを描いて面白がったことなどを思い出した。姉と清吾がおかずものをもって来宅。朝の間に雑草対策(草刈り、コマメで)をする。午後千里はコーラスに行く。
2025年7月26日(土)
暑さと少雨の影響なのかキュウリがならなくなっている。稲作も大きな影響があるだろう。近畿、中国地方で6月7月にこれだけ雨の降らない年はなかったのではないだろうか。
2025年7月27日(日)
今日も猛烈な暑さで外へは出られない。一宮マックスで少し買い物をするくらい。この炎天下で高校野球をしている。大阪の決勝戦は延長になり東大阪大柏原が優勝候補の大阪桐蔭を下した。スポーツのプレーもさることながら暑さとの戦いでもある。
2025年7月28日(月)
全く雨が降らない。カラカラである。高校野球兵庫県決勝戦一進一退の好勝負であった。東洋大姫路が接戦を制する。書斎で34度Cたまらん暑さである。黒羽清隆著「太平洋戦争の歴史」読みかける。
2025年7月29日(火)
昨晩は暑くて寝付きにくかった。このような暑さは今夏はじめてであった。倉庫の温度計は最高温度39度Cを記録していた。あおいと創君が猛暑の午後来宅、しばらく談笑。焼け石に水のようではあるが野菜に散水する。
2025年7月30日(水)
キュウリがあまりならなくなったので食彩館には出さずに塩漬けにする。(秋に塩分を除いて粕漬けにするつもり)。サボイに行き旬彩蔵に立ち寄る。今日も40度Cに達する灼熱の一日、キューチャン漬けをつくる。
2025年7月31日(木)
暑さも猛烈であるが、雨が降らないのが脅威である。宍粟市一周ドライブ、千種から三河、土万、菅野、蔦沢、と回るが道沿いは夏草が茂り昔に比べて風景が荒れている印象、それに比べれば国道29号線沿いの山崎、神野、一宮、波賀はまだ活気があると思った。
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