2024年1月1日(月)
昨晩はWBCの特番を観た。結果はわかっていても感動する場面の連続で「強いチームが優勝するのではなく優勝したチームが強いのだ」という誰かの言葉が印象的であった。MVPは大谷だが他の各投手は勿論、吉田、近藤、ヌートバーなど誰もがMVPだと思った。
千里は来客接待で大忙し、昼に聡一朗夫婦、圭志朗、紗也果の4人が来てお茶、昼食をして昼過ぎに松田君夫婦、芙玖、康成が広島から到着し夕方には世良家は帰宅する。
2024年1月3日(水)
昨日は賑やかな一日となった。今日は松田君とワイモバイルへ行って携帯の通信料金の変換や機種購入につきあってもらう。店の説明を聞いてもチンプンカンプンで松田君に対応してもらう。千里と私の機種も同じもので新しくなった。聡子達と3時半ごろ山崎で別れる。
2024年1月4日(木)
「些細なことに気を揉んで眠れない」というような話を聞くと「小さいことを気にしなくてもよい」とアドバイスするが、実際に気になることがあればそれが他人からみればとるにたらないことであっても頭から離れず不眠になることもある。それが普通の人間であると思う。昼前に高嶋夫婦が来る。新機種スマホの使い方を教えてもらう。帰途、創君を高校まで連れに行くとのこと。キクイモと自然薯を掘る。
2024年1月5日(金)
正月のお客事は一段落する。全国的に社会活動は始動している。平穏な一年を祈願していたが元旦から能登大地震、航空機の衝突火災など荒れた年始となった。私は年齢にこだわらずに前向きにチャレンジする気持ちを持ち続けたいと思っている。千里が神戸新聞「ふれあい」に投稿する。毛布干し、私は野菜を収穫する。福岡博士の「動的平衡」単行本をアマゾンで買う。
2024年1月6日(土)
人の発言を聞いて腹が立ち諍いになる。「無受想行識」すなわち心の中の事は無なのだから声を聞くのではなく音として耳に入るのだと思えば腹は立たないのだと少し悟る。(実践できるには修行が必要)。食彩館に初出荷しほぼ完売する。外出はせず、光が夕刻立ち寄る、回復しているが顔色は病後という感じがした。
2024年1月7日(日)
七草粥の日、これも多くの家庭には忘れ去られる習俗かもしれない。自治会は4年に一度の東八幡神社のしめ縄作りの天役に出る。いつもはトンド係であったが今日は6mあまりの大杉のしめ縄やサガリも綯う。自治会長が交代してこのような催しの雰囲気も三林らしくなってきたようだ。
2024年1月8日(月)室温4℃
寒波がやってきた。屋根に7cmほど積雪。今日は「お日待ち」、次々と地域行事がある。思ったより少人数で三林としては豪華なオードブルが準備されていた。治幸と飲んでしゃべる。前の県会議員春名哲夫さんが亡くなられたようだ。
2024年1月9日(火)
能登半島大地震の被災者には言い様のない悲劇がある。妻の実家に帰省中4世代10数人がが生き埋めになった人などにとっては神も仏もないものかと思われるだろう。これが思うようにはならない現実の世界なのだ。千里はテクノまで行き昼に帰宅する。野菜の再登録、図書返却、高菜漬けにテンサイ糖を加える(味はどうなるか)。とろろ汁をつくる。天気予報は晴れ、洗濯日和であったが少し外れたようだ。
2024年1月10日(水)
朝方の寝入りが習慣になった。千里は安富診療所へ定期健診に行く。久しぶりに餃子をつくる。悪天候で外の作業はできない。キンカンを剪定、鉢物の除草などをする。外(近隣)は無人の世界、誰も家の中に籠もるか、自動車で出かけている。
2024年1月11日(木)
人間にとって不可能な事「時間を戻すこと」ゆえに「今」を大切に過ごすこと以外にない。と頭で理解していても無為に過ごしている時間が多い。コープにてタンパク源を買う。まるで3月下旬のような陽気、キクイモを掘る、下の畑の剪定枝処理、上の畑の草払い。大学共通試験が迫り創君もプレッシャーを感じているだろうが開き直って受験できるだけでもすばらしい。
2024年1月12日(金)
能登半島地震で圧死、焼死した多くの人々、海保飛行機に搭乗し一瞬にして散華した職員やその家族にとっては悪夢のような年明けとなった。千里はコーラスに参加、私は水墨画用の景色を求めて行者山の滝、三つ山、名畑観音堂、伊和神社などを巡る。氏神様と伊和神社に祈願を懇々とする。山口の上、畑草払い、ホウレンソウ、ブロッコリー採取する。
2024年1月13日(土)
49万人の若者が難しい問題に取り組む日。こんな難しい問題をスラスラ解ける人間がいっぱいいるのに中枢にいる政治家たちが法に違反するとはどういうことか。問題を解く力と世を渡る力とは別物なのだ。千里は社務所の掃除当番に出役する。食彩館にホウレンソウ、ブロッコリー、キクイモなどを出す。午後から雨が雪に変わり外の作業は無理。人間、意地の悪さは終生変わらない窮地に陥った時にその人間の本性が露見する。
2024年1月14日(日)千里のBirth Day
昨夜のTV100歳の人の生き様を映していたが、どの人も前向きに生きている姿に感銘した。兵隊から戻りミカン農家をはじめた人、文部大臣室で定年まで勤め、今は佃煮屋の店番をしている多趣味な老婦人、硫黄島で奇跡的に生き残った百歳夫婦など凄い人生だ。細かしいことに腹を立てたりせずに温和に目の前のことに集中することだ。トンドの火にあたる。今年は天気も良くマサテル君がトンドを組み立て着火もうまくいったようで有難かった。サボイにてモーニング。創君ご苦労さんでした。
2024年1月15日(月)
朝のサイクリング、風強けれどもペダルこぐ。昨日とうって変わってどんよりした一日で午後は北風に雪が混じる。外出することなくテレビ、パソコンで眼を酷使する。山口の上の畑をノコ刃草刈り機で草払いする。正月以来日々餅を食べている。よくも飽きないものだ。暇なので賀状を見直す。
2024年1月16日(火)
朝方に雪が降る。この時期に積雪がないことも珍しいことだ。地域行事がコロナ禍のあと次第に元へ戻ってきたことを400字に作文しようとするがなかなか難しい。確定申告の収支表を書き出す。農協で食彩館の販売実績とか肥料、農機具修理の費用すぐ打ち出してくれた。
2024年1月17日(水)
朝はこの時季らしい冷え込み、マイナス4度C、千里は百歳体操に参加する。昨日は駄文を発言に投稿するがきっと不採用だろうと思う。もちむぎの館は人気店だと思う。予約客で一杯のようだ。キューイの支柱を工夫する。三色すみれ、キンギョソウなど植える。
2024年1月18日(木)
輪島の朝市、地震による火災現場から身元不明の人骨が出てきたという。突然の地震で家屋の下敷きとなり、もがけども身動きできず、やがて迫り来る猛火の中で、「助からない!これで死ぬのだ!」と絶望と恐怖の瞬間どのような思いであったろう、想像しても身の毛がよだつ。あわせて、29年前よくもあおいが帰郷していたことか、神戸にいれば一生恐怖のトラウマから逃れられなかったと思う。伐採した桜に今回はヒラタケを植菌するべく菌コマを購入。
2024年1月19日(金)室温10℃
この時季には珍しく寒さが緩んでいる。岸田首相はボロクソにけなされているが日本の中央政界にこれという人物はいない。中国の習近平などは生い立ちから彼が辿った道が日本の政界人とは違う。二世、三世のボンの秀才が多く人間として本当の意味での苦厄を知らない政界人や高級官僚が日本を牛耳っている。頭にあるのは選挙の票と地位で国家国民のことはポーズにすぎないとおもわれても仕方が無い。ヒラタケの植菌、イチジクの挿し芽完了。
2024年1月20日(土)
周期的に春を思わす晴天と冬の曇天が交互にやってくる。今日明日は雨天曇天の番だ。外で活動できず。千里は社会大学に出る。田井義兄退院する。少し夢うつつという感じであるが質問の応対はできる。週3日はホームでお世話になる段取りらしい。
2024年1月21日(日)
今日は東八幡神社厄除祭の庭火の木寄せ天役である。案じていた雨も止みよかった。昔に下道で切った楢の大木が割ってあり(山本が大木を製材で割れと言った意見は正しかった。私は割らなくても燃えるだろうと思っていたがこれは不正解であった)思っていたより早く10時前には終了する。男子都道府県駅伝、兵庫は大学社会人の区間がもう少し頑張れば面白かったのだが。
2024年1月22日(月)
朝のサイクリング途次に新家の若者が帰宅するのに出合う。昨夜はどこかへ行っていたのだろう。母のところか弟のところかに行っていたのかわからない没社会になっているので生活実態が不明である。外出せず、キューイの支柱、栗の木を植え替える(2年ほど前に植えたのだが掘り返すとずいぶん根を張り大変だった。)
2024年1月23日(火)
古今東西、時空を見渡しても「今、此処」しかないのだ。過去は「あの時、あそこで」であり、未来は「いつか、どこかで」であり、それはすべて夢、幻にすぎないのだ。田井義兄は当分のあいだ日中はホームにあずかってもらうとのこと。午後から急激に気温が下がる。「窓ぎわのトットちゃん」読了。自分の幼いころの情景が浮かぶこともあり懐かしくいっきに読んだ。
2024年1月24日(水)室温2℃
よく冷え込んでいるが積雪はなし。千里は百歳体操に参加する。千里の「ふれあい」投稿、私の「発言」投稿も結局不採用になる。考えれば名前が出ない方が良かった。安垣にて散髪する。午後栗山さんが千里を訪ねて来宅、いろいろと聞いてあげたようだ。夕刻から雪模様、一級寒波襲来、明朝は積もりそう。
2024年1月25日(木)
予想通り18cmほど積雪する。終日小雪が舞う。コープにて少し買い物。南部は雪など無縁の晴天、ずいぶんちがうものだ。外へ出ても真っ白な銀世界で何もできない。今日は水墨画教室の日なのだが作品が描けていないので欠席する劣等生である。先頃、私が北中にいた頃の生徒(45~46歳)が病院で注射のあと急に容体が急変し亡くなったそうだ。まさに「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり・・」運命は過酷である。知り合いのKさん宅も80-50の予備軍で国全体にどれだけ悩む80-50が存在しているかわからないと思う。
2024年1月26日(金)
岸田首相もたたかれ放しだが、打たれ強い。内外にこう問題が山積している状況では誰が首相になっても同じこと。たとえば令和の山本、自民の石破、立憲の長妻、明石の泉、大阪の橋下、評論家の田崎や伊藤にいっぺん総理をさせてみろ!誰だって何ヶ月もつか?えらそうに批判しても自分がやってみたらどうか。よくもこの難局でぐだぐだとボロカスに言われながら岸田が耐えているのだ、嘘まみれペラペラの安倍、ガキのようにハットで格好つける麻生よりましだ。寒い時季だがそれぞれの孫たちがすばらしく頑張っているので嬉しい限りだ。
2024年1月27日(土)
小雪が降っている。どうでもいいことなのだが近所の嫁はどうなっているのだろう、雪が屋根にのこり小雪がふるにもかかわらず玄関の真上に布団や枕を干すのである。自然薯を掘る、キューイの支柱立て、桜の柴を片付ける。雪が少し残っているのと寒いので外の作業はできない。
2024年1月28日(日)
雪も融け天役もない日曜日である。野田元首相の国会質問をユーチューブで見たが正論である。自民党議員が2世3世の議員ばかりになっていることがこの国の政治の停滞、閉塞につながっていることは全く同感である。剪定の残渣や草を焼却する。千里も私も何もすることなく冬籠もりをしている。
2024年1月29日(月)
朝方、起床しようと思っていた寸前に眠っていた。眠れまいと焦っていても眠りに入る寸前は記憶が途切れてしまう。人間の機能は不思議なものだ。午後は寒中とは思えない陽気となる。汚れていた自動車の泥を洗い流す、ユズ剪定、ヒラタケ、ナメコに寒冷紗をかける。
2024年1月30日(火)
放射冷却で冷え込んでいる。遅くまで横になる習慣となっている。ユズの剪定、サトイモを掘る、花の除草、培養土と花の種購入。今日の太陽南中高度を測る(14cmの鉛筆の陰が18cmなのでarkタンジェント7/9で計算すると約38度となった)冬至が31.6度なので日射しが少し強くなってきた。
2024年1月31日(水)
光陰は矢の如し、1月も今日にておしまい。今冬は暖冬であるとの長期予報が当たった。千里は百歳体操に参加する。私は「正義を主張しあえば果てしない戦争になる」というようなテーマでエッセイを書く。小雨がふり外作業ができないが、まるで尖った釘のようなグイのある柚子の剪定をし、その枝を廃棄する。スナップエンドウの種をポットに蒔く(発芽温度が20度なのできっと芽は出ないと思うのだが一応チャレンジ)
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