2025年9月1日(月)
栗園の早朝草刈りは一段落。午前中千里は安富診療所と川瀬医院で検診及び薬を貰う。伊和に姉らを訪ねる。誰もが暑さに閉口している。秋野菜の畝に施肥、ハクサイ発芽苗を間引く。
2025年9月2日(火)
喫茶「宮山」の展示作品の交換に行く。今回は「小京都」岐阜県古川町の町並みを描いた作品を出す。私より5才若い水墨画の宇野先生は癌に罹られて治療中とのこと。自転車のパンクとタイヤ交換を高峰で直してもらうために三方まで上がる。
2025年9月4日(木)
昨日、夕方にハクサイを1畝、今朝ブロッコリー、キャベツ、残りのハクサイを植える。日中には雨はほとんどふらなかった。自転車がもどってきた。曇り空だったので少し草払いをする。小説はミッドウェー海戦の部分を読む。日本はすべて情報を読まれていたのだ。自転車がもどってきた。
2025年9月5日(金)
天気予報が脅したほど雨は降らなかった。むしろ雨後の猛暑がこたえた。久しぶりに龍野まで出る。スダチとネギを少し採る。小説は日本海軍敗北の第一頁であるミッドウェイ海戦の惨憺たる結末と空母飛龍の司令官山口多聞提督の最期のところを読む。
2025年9月6日(土)
スダチ、ネギ、栗、カボチャを出す。栗が熟しているとは思わなかった。下の畑の草刈りをしていて気づく。今日は外出せずTVと読書で過ごす。ガダルカナル島の死闘、一木支隊900名全滅、川口支隊の奮闘、アメリカ軍の強さとか兵数物量を陸軍上層部は的確に把握していなかった。何というひどい戦いをしたものか。
2025年9月7日(日)
スダチ、栗、カボチャ、ネギを出す(ほぼ完売)。ダイコンを播種する。夕方、雷雨あり、いい間に播種することができた。今日一番悔しい思いをしているのはドジャースの山本、9回ツーアウトまでノーヒットノーランに抑えながら逆転サヨナラ。それと女子バレー5セットにもつれこんであと一歩及ばず銅メダルを逸した。石破首相辞任を決断する。
2025年9月8日(月)
朝、ハクサイ追加定植、少し草刈り。千里は栗山さんとサボイでお茶。シソジュースをつくる。栗をひらう昨日の雷雨で沢山落ちていたので栗拾いも大変だった。
2025年9月9日(火)
食彩館に栗を出す。火曜日なので客が少ないだろう。マックスで食料品を買う。今日も滅茶苦茶に暑い。かつてこんなことはなかった。午後高嶋母子が来宅、しばらく話して4時頃帰る。子どもたちも頑張っているので嬉しかった。
2025年9月10日(水)
千里、百歳体操に出席する。栗拾いをする、思ったより多く落ちていた。カブラの種をまくが、その後線状降水帯の雷雨(バケツをひっくり返すような雨がふったのでこれは発芽しないだろう。とにかく高温、乾燥、激しい雷雨で露地の農業は難しくなってきた。
2025年9月11日(木)
水墨画の宇野先生(本源寺院主)が癌で休まれているのだが教室に出る。私以外は上手な生徒ばかりである。私は劣等生。今日も曇天であったが蒸し暑かった。高校生の野球、日本選抜がアメリカを延長戦で破った。私の頭には太平洋戦争で米軍に屈した怨念があるので日本選手の顔が旧日本軍の兵隊に見えた。
2025年9月12日(金)
朝方に栗を拾って少し出す。とにかく蒸し暑いので戸外の作業がはかどらないがナンキンのメッシュやキュウリの支柱を取り外しに着手する。ハクサイにシンクイムシがついている。
2025年9月13日(土)
栗、ナンキン、ネギを出す(完売)。和田山まで遠出する。JAのスーパーで買い物(農産物、肉、魚など品物は豊富で新鮮)する。栗拾い、ネギの収穫をする。ハクサイの芯を食べるのはどうもバッタが犯人のようだ。
2025年9月14日(日)
栗とネギを出す。今年の晩夏は猛烈な蒸し暑さとたたきつけるような雷雨で土が乾かない、種が蒔けないことなど露地の畑つくりをますます困難にしている。昨日の「人生の楽園」はぱっとしなかった。いつまでこの店が続くかなと思う。
2025年9月15日(月)
栗拾い、15×400=6000グラム、7kgほど拾う。大安売り5000円あまりで完売。今日もとにかく酷暑、外に出ることができない。ゴダイでアリナミンを買う。敬老の日だが私たち夫婦には、子や孫たちがそれぞれたくましく頑張っているのがこの上なく嬉しい。ありがたい。
2025年9月16日(火)
今日は午後から雨の予報、稲刈りの連中は焦っているだろう。ダイコン、ハクサイの谷をコマメで鋤く。キュウリの支柱をはずす。小説太平洋戦争はニューギニアでの日本軍の苦闘のところまで読む。日本陸軍のそれまでの戦いはおもに中国や満州が舞台であったが太平洋の島々では物量の補給に勝るアメリカ軍には無惨な玉粋するしかなかったのだ。
2025年9月17日(水)
千里は百歳体操に参加する。クリを6袋出す。今日も蒸し暑く「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が言えなくなった。山崎のAコープまで行く。ドジャースの救援陣のふがいなさにあきれるばかり。
2025年9月18日(木)
断続的に夜半から雨が降る。田畑の乾く間がないのとたたきつけるような雷雨で秋野菜の栽培農家は困っていると思う。雨の後空気が秋の空気に代わってきた。
2025年9月19日(金)
キュウリの後畝をコマメで鋤く。早生栗最後の栗拾い。千里はゴミ出しをする。JAで鎌と堆肥を買う。千里に安黒さんから例の長電話がかかってくる。大前修ちゃんが新米6袋を冷蔵庫にいれてくれる。去年より1袋6500円の値上がり、上昇率が半端でない。
2025年9月20日(土)
一宮マックスで牛乳、納豆、卵など買う。国道の温度計表示は25℃である。雨が降らない間にキュウリの後畝に施肥して耕運する。暑さが和らいだので作業しやすくなった。光が2時頃に立ち寄る。
2025年9月21日(日)
ハクサイが芯クイムシにやられているのでその補植にチンゲンサイの種を蒔く。上畑が稲を刈り取る。サツマイモのためしに掘ってみると結構大きい薯が入っていた。暑さが少し和らぐ。
2025年9月22日(月)
ネギとナンキンを出す。やっと外で動ける気温になってきた。昼前にあおいがやってきた。孫たちもそこそこ頑張っているようで嬉しかった。
2025年9月23日(火)秋分の日
彼岸の中日、ようやく魔の暑さも峠を越えた。昼に福居夫婦来宅、久しぶりに一緒に食事、団欒をする。賢三さんも脳梗塞を発症してから2年になるが頭のほうはまだ健全のようだが起居、歩行、動作が大変、毎日介護する義姉が大変である。夜のTVで石原4兄弟の特番を観る。慎太郎氏の奥さんがすばらしい。
2025年9月24日(水)
千里、百歳体操に出る。鹿柵に巻き付いたナンキンの蔓や枝葉を掃除する。山崎イオンで買い物をする。シュンギクと高菜の種を蒔く。大谷が6回無得点の好投をしたがまたしてもスコットが救援失敗ドジャースは逆転負け。素麺が今日からはじまった。
2025年9月25日(木)
千里、社会大学に出席する。朝からかなりの降雨で昨日蒔いたシュンギクの畝を板で覆う。庭の剪定をするアベマキやアシビを伐採する。庭が少し広く見える。
2025年9月26日(金)
午前中は小雨、チェンソーの刃立て、ナンキンの後始末をする。千里は午後コーラスに参加する。ドジャースとマリナーズが地区優勝する。大谷が2本差で本塁打王になるかどうか。庭の剪定作業をする。躑躅や皐が大きくなり過ぎているので根元から何本か伐採したいと思っている。
2025年9月27日(土)
ネギを出す。八頭町まで行く。秋の高気圧に覆われているが日射は相変わらずきつい。タカナを播種する。夜は自治会総集会に出る。生涯学習のビデオと秋祭りについて。神戸新聞に投稿するが今度は絶対に採用されないと思う。
2025年9月28日(日)
自治会集会は生涯学習としてビデオ鑑賞し、祭りの役割分担を決める。我々高齢者は放免、世代交代、安気ではあるが寂しい面もある。庭の剪定、モクセイを半分ほどに伐採、マユミを伐採して残滓を処理する。ナンキンの後の処理、大草で難渋。
2025年9月29日(月)
一ヶ月30日以下の月「西向く侍」2・4・6・9・11月、9月もあと一日となった。午前中は畑の大草、マルチの片付けをする。「小説太平洋戦争」はインパール作戦の苦闘、(ビルマ戦線の鬼たち六)の部分まで読む。
2025年9月30日(火)
昨晩の夢は歌のコンクールに出場したが私は出演前に歌詞をすっかり忘れたというドジな夢だった。女性に人気の英保君(今は亡き)や土居君も好演し、カメラで彼らを撮っている愉快な夢であった。千里は安垣で散髪する。サツマイモの菓子を作る。
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