2025年8月2日土曜日

August

 

202581日(金)

千里は安富へ薬をもらいに行く。伊和へ中元を持って行く。農協へ行きシソ、カボチャ、ネギの登録をする。国道に備え付け温度表示は3時過ぎに36度Cを示す。昨日より少し下がる。

202582日(土)

曜日を間違えていた。千里は仏壇の掃除、食彩館はつきあい程度に持って行く。気温38度C、暑いさなかに光がくる。黒羽清隆氏の「太平洋戦争の歴史」上巻読了。この本を書かれてから2年後53才で亡くなられている。

2025年8月3日(日)

老人クラブ、八幡さんの掃除に行く。二人揃って行くことができることに感謝する。キュウリのキューチャン漬け、シソジュースをつくる。神戸新聞に投稿するがたいてい採用されないだろう。

 戦後残像

昭和20年冬、元首相の近衛公が「敗戦必至」という上奏文を天皇に差し出され、米軍による無差別攻撃で空襲警報のサイレンが鳴り響く頃に生まれました。田舎でも警報で防空壕に急いで潜む日々であったようです。8月に終戦となりました。幼い記憶ですが父に連れられ大阪の肥料会社に行きました。途中の山陽沿線の風景は黒っぽかったような気がします。大阪駅につくと進駐軍のジープ、多くの浮浪者など雑然としていました。目的地へ行くのに橋が修復されていなかったのか小舟に乗ったことを覚えています。そして子どもの世界では戦争は相変わらず続いていました。軍隊のように上級生がいばり下級生をいじめ、男子の遊びは駆逐、水雷、本艦という模擬海戦や肉弾戦など勇ましく、先生方も軍隊のように体罰をふるう怖い先生もいました、秋の運動会では総行進が花形でした。貧しく厳しく懐かしい残像です。

202585日(火)

今夏はしないと言っていたのに千里が朝の間に墓地の清掃。キュウリを出す。山崎の方は雷雨があったようだがこちらは降らないので耐えられない蒸し暑さとカラカラ天気が続く。夕方に待望の雨が降った。

202586日(水)

暑さは衰えず。土が湿っている間に田を鋤こうと思いトラクターを始動したがバッテリーがあがって始動できず。トラクターのボンネットの開け方を農機具センターの若い子に教えてもらいコメリで充電器を買い充電する。夕方には充電できてトラクターが始動、雷雨が来ぬ間に雑草が繁る上の田を鋤くことができてよかった。

202588日(木)

昨晩は涼しかった。季節は進んでいる感じだ。岸根の下畑を草刈りする。キュウリ、オクラを出す。ついでにイオンにて食料品を買う。断続的に雷雨、植物群も充分水分を吸っただろう。東洋大姫路が愛媛の済美に辛勝する。山岡荘八著「小説太平洋戦争」を再読する。

202589日(土)

昨晩池上さんの太平洋戦争の特番がよかった。阪本節枝さんが今朝亡くなり、悔やみに行く。この家も極めて前途多難であると思われる。栗の下、草刈り。1月から7月までの領収書エクセルに入力整理、ネギ除草。

2025810日(日)

終日大雨、400ミリくらいは降っている。キュウリを出す(完売)。食彩館はお盆の雰囲気で客多し。夜は阪本の通夜に行く。高校野球は延期となる。まるで梅雨だ。広島広陵高校が2回戦を前に出場辞退となった。この時勢やむをえない。

2025811日(月)

呑気なことだが今日も祝日(山の日)らしい。梅雨空が戻ってきた。

午後、阪本の葬式に参列する。どこかの見たこともない老人が話しかけてきたが教え子の為木君であった。圭司君と友達だったとのこと。雨が降る中、田井夫婦がお参りに来宅、しばらく雑談する。

2025812日(火)

今日も終日雨。キュウリが多く成長し、大小混ぜて20袋出す。盆前なので朝から客多し。3時頃に圭志朗と紗也果が来てしばらく話す。

2025813日(水)

雨があがり、再び猛暑となる。食彩館に行くと駐車場は満杯、多くの人が来ている。朝の間に花畑の草刈り、バラの剪定をする。川崎君にビールを謝礼する。猛暑で墓に供える花さえ乏しい状況。

2025815日(木)

昨日は聡子達が帰ってきた。国道29号線がかつてないほどの渋滞新宮から帰るのに2時間くらいかかる。圭志朗が東京へ帰ったがカバンを忘れたというので再度新宮駅まで行く。神戸新聞発言欄に自分の投稿が載る。今年の盆も12人集まり賑やかに談笑することができた。有難い事この上なし。

2025816日(金)

聡子たちが今日いちにち居てくれた。昨日は目の前に甘くて美味しいものがあふれていたので自制心がなくなって思い切り甘い物を食べた。

2025817日(日)

キュウリを出す(完売)。メロンソフトクリームを待つ人が列をなしている。聡子たちが広島に帰る。今年の盆も終わった。夕方雷雨。

 2025818日(月)

静かになった。ハクサイやブロッコリーの種を蒔く時がきているので朝の内に蒔く。キュウリを出す。千里は田井へお供えを持参する。日中は外に出られない。夕方上の田を耕運する。

2025819日(火)

これもささやかな社会参加として野菜を出す。国道端の温度計は30度Cを指している。今日も熱帯の気象。ドジャース山本は好投するも勝てず。高校野球の横浜対岐阜商業は見ごたえのある試合で岐阜が勝つ。東洋大姫路は健闘したが沖縄に敗れる。

2025820日(水)

キュウリ、ナンキン、オクラを出す(完売)。母親の命日である。平成20年に亡くなった南無阿弥陀仏。BSで林芙美子原作の映画「浮雲」を観る。ストーリーよりも戦時中、戦後、父母があのような世相の中で生きたという懐かしさを想う映画であった。 

2025821日(木)

朝の涼しい間にネギ畝の草刈り。今日も35度Cのカンカン照り、安垣にて散髪する。高校野球は準決勝、日大三高と沖縄尚学が決勝に進出した。山岡荘八の「小説太平洋戦争」読む。開戦に至るまでの様子がよく分かる。

2025822日(金)

草がこの前の雨で勢いを増して繁茂している。朝のうち少し刈る。牛乳、納豆など必需品を買う。千里は午後コーラスに出席する。日射がきつくて気温は37度Cに達する。盆をすぎてこの暑さはまさに異常である。

2025823日(土)

陽の当たる前に花畑の雑草を刈る。うちだけでなくこの暑さで誰も草刈りしないのでどこの田の周囲も大草になっている。原の楓香荘までドライブする。食堂、宿泊施設、温泉すべてが姿を消して広い駐車場とトイレになっている。ヒラベ屋さんだけが残り「諸行無常」を目の当たりにした。今夏の高校野球は感動的な試合が多かった。最後に準々決勝で東洋大姫路を下していた沖縄尚学高校が全国優勝を果たした。

2025824日(日)

キュウリが大きくなりぶらさがっていたので14袋とナンキン、オクラを出す。道の駅は例のメロンソフトクリームを求める人で駐車場は満杯になっていた。今日も激暑、ブロッコリーとキャベツの発芽がうまくいっていないので蒔き直しをする。光が夕方立ち寄る。「小説太平洋戦争」2巻目を読む。山下奉文中将のマレー侵攻やその日記から彼の想い「・・全く済度しがたし。やはり国に人なく、ただその地位に権威をふりまわさんとする輩のみあるは残念なり・・」現在の政界にも似たようなことが言えるのでは。

2025825日(月)

日の出前に朝の体操兼ねて栗園の草刈りをする。カワベにてサツマイモを買う。今日も日中は外へ出られないほどの暑さが続く。食べ物に気をつけて健康管理する。読書三昧。

2025826日(火)

朝の運動、草刈り20分。久しぶりに若桜まで出かける。峠の付近は常にどこかの道路工事はしている。ほとんどとんぼ返りして昼過ぎには帰宅する。それぞれ娘たちが高齢の妻と私の安否を案じてくれているので申し訳なくまた有難いことである。

2025827日(水)

肥大したキュウリ、オクラを出す。千里は百歳体操に出る。播種していたハクサイがよく発芽した。キャベツとブロッコリーは再度播種する。雷雨予報がでていたが今日は来なかった。ナンキンを収穫する。

2025828日(木)

朝の運動30分、農協で堆肥と鶏糞を購入する。今日も蒸し暑い。大谷が5回1失点、奪三振9と好投する。2投流は凄いが選手寿命を短くするかもしれない。外野手として打撃に専念するほうが長く活躍できるかも。「小説太平洋戦争」フィリピン攻略戦でバターン半島での戦いの部分を読む。大本営参謀と本間司令官に豊臣秀吉の才覚があれば籠城していた米兵と比島兵は自滅していただろう。

2025829日(金)

草刈り20分、朝食、ドラマ視聴、読経、ハクサイ予定の畝に施肥トラクターを動かす。35度C、日射がきつい、日本も熱帯となった。陽が入ってから秋野菜の畝をつくる。

2025830日(土)

表現のしようがないほどの残暑である。バットのように大きくなったキュウリを出したが品薄ですぐ売れた。教研のあと光が昼前に来る。こう暑くては野菜もうまく発芽しない。「小説太平洋戦争」2巻読了。蘭領ジャワの占領作戦は今村均司令官の的確な作戦と連合国軍の不統一で予期していたより首尾よく占領できたところまで読む。

 2025831日(日)

水墨画作品の裏打ちをして額に入れて掲示できるようにする。草刈り、畝立てで筋肉運動を兼ねる。今日も37度Cを超える酷暑の一日であった。松田君夫婦が来宅するが3時頃とんぼ返り、暑いところ遠路ごくろうさま。 

 

 


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