2024年6月1日(土)
今年は梅雨入りが例年より少し遅れるとのこと。タマネギやジャガイモの取り入れにとっては嬉しいことである。昨年は早い梅雨の雨でタマネギに水分が多く含まれて保存がうまくいかなかった。土が乾いてきたので下の花畑の除草などする。気候の加減なのかグミやジュンベリーが全くなっていない。今までこんな事は一度もなかった。
2024年6月2日(日)
出荷なし。キュウリなどの消毒をする。ウリバエには効く薬がないので困る。とにかく今年は植物の生育具合がおかしい。イチジク畑の下草を刈る。岸根の連中が寄っている、経をもらうのだろうか。溝脇の夢農業が小道を塞ぐような鹿柵をするので文句を言う。庭の躑躅や皐の散髪をする(やっぱり蓄電池の道具より100ボルトの道具のほうが強力で作業がはかどる。)
2024年6月3日(月)
芥川龍之介「春」の朗読を聞く。妹の恋愛について案ずる姉の話なのだが、何でもない情景の描写、表現がすごく天才だと思う。キュウリがかなり大きく生長してきた。イチジク畑の草刈り2回目、カボチャ周辺マルチがけ、自然薯3本植え付け、波板床2つ追加する。この時期は風が強いので作物を必ず誘引しなければならない。夕方、田井夫婦が波賀のマッサージからの帰途立ち寄る。
2024年6月4日(火)
今日も晴天なりと思っていたが昼前から曇り俄雨のおそれ。千里は夏布団を洗い、干すが途中で断念する。イチジク畑草刈り3回目、カボチャの株まわりにマルチをする。自分もクロマグロのような性格があると思う、とにかくじっとしていられない、動き回らねば生きられないマグロに似ているのだ。丸本弘巳君が亡くなった(享年69歳)前立腺ガンが骨や腎臓、肺に転移していたようだ。
2024年6月5日(水)今日は京都産業大学まで中国縦貫、新名神、名神、京都市内を乗り継いであおいの運転で行く。新名神は川西、宝塚、茨木、高槻を通るバイパスの役目のある高速道で東淀川や旧万博跡の吹田の交通量の多いところを迂回しているので早く京都まで行けた。キャンパスは高原にありエスカレーターで登った。昼過ぎだったので次々と降りてくる学生の多さに圧倒された。創君も機嫌良く頑張って学生生活をおくっている様子で安心した。地下鉄北山駅の近くにあるパン屋さんのランチが美味しかった。明るい間に無事帰宅する。
2024年6月6日(木)
朝方の夢は隣保の人たちと高い山頂にある祠めざして尾根にそった道を登っていた。道の左側は目のくらむような絶壁であった。山を登る夢をみる時は常に片方が絶壁になっているのは自分が高所恐怖症であるのかもしれない。シュンギクのほうけたのを刈ってカボチャの下草にする、イチジク畑の草刈り4回目で終了する。石倉ネギに根切り虫対策をする。枝豆予定の畝を仕立てる、キュウリの誘引、剪定。
2024年6月7日(金)
昨日寝る前に娘達の幼い頃(8ミリで撮影したもの)や孫たちの生まれた時、安富中での老人クラブ交流の動画などを見て、つくづく諸行無常を感じたものだ。ゴーヤ、ヘチマの支柱を立てる。シュンギク刈り取り、イチジク挿し芽を植え替え、枝豆畝に施肥、クレバーパイプ購入する。千里は安富診療所で薬を貰う。
2024年6月8日(土)
朝方少し寝過ごす。今日も夏日が続く。自然薯パイプ6本埋設する。マッカウリ周辺にマルチや草をかける。ヤンキースタヂアムでの野球観戦(アメリカに行かずとも無料で横になって観戦できる有難い時代になった)。こんな田舎でも車とスマホ社会なので土曜日だというのに外には誰も見当たらないのだ。
2024年6月9日(日)
生前の姿を知っている唯一の祖母、ツヤが亡くなったのは私が小学校3年生の時であった。安黒の井野家に生まれ母と娘ひとりであったという。祖父亀吉と恋愛し、出来ちゃった結婚で新市が生まれ、父栄三郎は次男であるが戸籍上では長男となっている。朝から小雨、自然薯床にマルチをかけ、カボチャの雑草対策、サツマイモ追加定植をする。
2024年6月10日(月)
梅雨が来ぬ間にタマネギを取り入れるようにタマネギを掘り根切りをする。掘ったタマネギは2~3日は乾燥せねばうまく保存できないという。
梅雨近し 今日がチャンスと タマネギを
晴れの日数えて 急ぎとりいれ
サツマイモとローリエの挿し芽をする。
2024年6月11日(火)
人間の諸器官も諸行無常の流れの中で耐用年数があることを実感させられる昨今である。このことは何も憂うることではなくごく自然なことである。図書館にて夏目漱石「こころ」、太宰治「人間失格」陳舜臣「山河在り」を借りる。中の田を鋤く。夕方福居夫婦立ち寄りしばらく近況を語りすぐ帰る。
2024年6月12日(水)
百歳体操に千里は参加する。カラスやハクビシンにキュウリが夜間に食べられてしまうが、少し残った分とスナックエンドウを出す。日射と高温で外の作業は控える。夕刻にタマネギを取り入れる、キュウリ、自然薯、ナスなどに散水。
2024年6月13日(木)
「坊ちゃん」東京から愛媛の田舎中学校に赴任した坊ちゃん、狸、赤シャツ、山嵐、ノダイコ、うらなりなど渾名をつけ・・いろんな職員や田舎の中学生たちとのトラブルなどの話しだ。ふと半世紀前に大阪から山奥の波賀中学校に赴任した私の思いや情景と重なる部分があるのがおもしろい。キュウリと大根を出す。千里は調理教室に出席、私は水墨画教室に出る。タマネギの葉を切り取る。太宰治の「人間失格」読了。
2024年6月14日(金)
昨日は始動しなかったポンプが今朝は始動してほっとする。暑さでエンジンルームにガソリンが充満(いわゆる「吸い過ぎ」)していたのだろう。野菜に散水、インゲンを何本か追加、自然薯の芽出し床終了する。
2024年6月15日(土)
キュウリ8袋だけ出す。枝豆を定植する(70本)、ポンプが動いたので野菜に散水する。下村の嫁の父(奥林テーちゃん)が亡くなる(香料を預ける)。田のまわりにラウンドアップを撒く、キュウリを誘引、伸びて主幹を切り落としてしまった株もある。来週には梅雨入りとなる気配。
2024年6月16日(日)
朝の読経は父母、祖父母そして幾多の祖先、阿弥陀如来の本願に報恩感謝の気持ちで唱和するものである。決して何かを願って祈るものでない。野菜に散水する。午後から夕方にかけて久しぶりの雷雨。ナスの支柱を縄で結ぶ、アナベルの鉢植えを地植えにする。「父の日」ということで娘達にいろいろと気を使わせた。ありがとう!
2024年6月17日(月)
千里の祖父17回忌法要の時、西光寺先々代院主が諭された言葉を思い出した。「煩悩まみれの私たちであるが私の中に常に仏がおられることを思い出して過ごしましょう」このようなニュアンスであったと思う。私は両親のかた身、すなわち祖父母のかた身、いや無数の諸祖先のかた身、究極は仏の分身であり、今は亡き無数の人々の願いがこの身に集約されていると思うのです。サトイモ畝の除草、千里はタマネギをくくる。
2024年6月18日(火)
夜半から雨が降る。いよいよ入梅である。約一ヶ月間鬱陶しい毎日となるだろう。昼は山椒をすりつぶしてタレをつくり、いただいた鰻をどんぶりにして食べる。一足早い土用丑のごちそう。午後は夏至に近い太陽が照りつけて真夏日の晴天となり外作業は無理。田の作物や雑草が充分水を吸収し急成長する。ジャガイモを倉庫につるす。高嶋君とあおいが神戸で渋滞にまきこまれたおりに偶然、紗也果が大学から帰るのと出会ったという。どちらもびっくりしただろう。
2024年6月19日(水)
今日は一生のうちの単なる平凡な一日に過ぎないと思って過ごしてはいないか。そうではなく空前絶後、絶対無二の貴重な一日である。元旦は1月1日だけではなく日々が自分にとって元旦、いや誕生日であり命日であると認識して過ごすべし。久しぶりに朝来まで出かける。千里、ジャガイモを掘る、新しい畝をつくる、トマトに補助杭を立てる。
2024年6月20日(木)
千里は社会大学に出席する。新しい畝に施肥、整地、マルチがけをする。ジャガイモ、タマネギ跡をコマメでかきまぜる。千里、ジャガイモを掘る。千津子さん花苗をもって来宅。キュウリ16袋完売。
2024年6月21日(金)
東京都知事選に60人近くが立候補している。小池、蓮舫より石丸の方がいいと思う。既存の有名人では新しい空気にはならない、これは国会でも同様だ。吉田茂の孫というだけで室内でもハットをかむり格好をつけている麻生など国民はどう見るのか。千里はコーラス、久しぶりに姉と話すが姉も頭の中が少し混乱しているような気がする。奈良の姉も大腿が痛くて困っているようだが年齢には勝てない。
2024年6月22日(土)
天皇皇后両陛下がイギリスに発たれ、聡一朗もドイツへ発つ。無事を祈るしかない。早くも夏至、太陽の南中高度がMAXとなり本格的な暑さがやってくる。自然薯4本、真砂土なしで植える。午後光が立ち寄る。夕方から本降りになる。何事も執着しないということが肝要になってくるのだ。
キュウリを出す(完売)。午後は本格的な降雨、水抜きをしなければならない。気温はそれほどでもないが湿度は100%。家の中でTVをみるだけとなった。一宮の道の駅へサツマイモを買いに行く
2024年6月24日(月)室内気温25℃
雨はやむ。世界の指導者なるものは決して偉人ではない、むしろサターンである。プーチン、ゼレンスキー、ネタニアフ、キムジョウン、習近平、バイデン、G7指導者、・・・庶民は戦争なぞ望んでもいないのに核弾頭、ミサイル、戦闘機、空母など強力兵器を増産し、都市を破壊、無辜な多くの民衆を殺戮する。午前中に柴原司法書士やJAハリマの石橋君といろいろと話す。どちらも一南中の生徒だったので話がはずむ。陳舜臣「山河在り」上巻を読了。
Now Here 今、居る処で焦らず、慌てずに充実して過ごすことが最も大切な過ごし方である。キュウリとピーマンを出す。サボイでお茶、マックスで食料品を買う。肉類がすべて引き揚げられたので餃子作りのミンチなどが買えなかった。下の花畑の除草、キュウリの杭打ち。
2024年6月26日(水)
千里は百歳体操に参加する。キュウリ、ピーマンを出す。キュウリが最盛期になる。キュウリの2段目に網をかける。枝豆と石倉ネギの土削り、サツマイモを定植する。千里は餃子をたくさんつくる。
光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨。キュウリが猿に食われてさっぱり。蔓まで引き下ろしている。人間の醜い根性は弱者や困窮している人や国に哀れみや同情をして援助する気持ちがある反面、もっと不幸で困ればいいというサディストのような面があるのは否めないと思う。野菜の畝の脇を草刈りする。千里は田井へタマネギとジャガイモを持って行く。
今日は終日雨が降り続ける梅雨らしい一日になるだろう。何もすることもなく屋内で過ごす。夏目漱石「こころ」を読む。時代背景は明治の末期、資産家の次男で大学生の私と海岸でふと出会った「先生」とのさまざまな交流が描かれている。腎臓を患い、田舎で母と二人で暮らす父が「子どもに学問をさせるのも良し悪しだね。折角修業をさせると、其の子どもは決して宅へは帰ってこない。是じゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」今も昔も親は同じような感懐をいだいている。
仏は外部にいるのではなく自身の内部に常在していると仏教は説く。この思い(事実、真実)を私たちは忘れがちになっている。キュウリを25袋出す(完売)。昼までに姉と清吾がいろいろなものを持ってきてくれる。光が立ち寄る。イチジク畑の草刈り1回目。夏目漱石「こころ」読了。先生の遺書である長い手紙、先生とその友人Kが下宿先のお嬢さんをめぐるさまざまな葛藤、Kの自殺など人間の心の動きを興味深く読み終えた。ただ私にとっては明治時代の終わるころ、頭はいいが本当の意味で生活苦を知らない資産家のぼんぼん大学生の話しだなとしか思えない。
2024年6月30日(日)
2024年の半年が経過した。東京都知事選挙が何かと喧しいが小池や蓮舫などより元航空幕僚長、田母神さんの主張に共感する。世界のならず者国家に囲まれた日本を立憲や共産党の反戦、護憲、性善説でまもられるのか。アメリカに頼らずとも抑止力を持った国にするにはどうするのか現実的に対処しなければならないと思う。宍粟一周60kmルートすなわち波賀、千種、三河、土万、菅野、蔦沢、神野、一宮を回る。
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