2024年12月1日(日)
お宮の掃除、夫婦そろって元気に出役できることにまず感謝。横着をして出役しない者が多く居た。砕石が撒いてあるので銀杏の葉がホウキで掃きにくい。ブローで吹きとばすと葉をまき散らすだけである。終わってから自然薯を出す(完売)。日曜で素麺をしていないので野焼きをする。今日はよく働いた。
2024年12月2日(月)
今朝は放射冷却で冷え込んでいる、食彩館には出荷するもの無し。猪口さん家族も両親は超エリートなれども悩みはあったのだろうと推測される。最後は猛火に包まれ哀れというより他ない。人間一寸先は闇である。JA但馬にて食料品を買う。
2024年12月3日(火)
相変わらず県政が混迷している。立花が暴露した事の真実性に疑義があり公用パソコンの中身についてデスクトップに入っていたものか否かで話が違ってくる。とにかく権力をめぐり当分はこの問題は決着しそうにもない。
2024年12月4日(水)
千里は百歳体操に行く。自然薯、サトイモ、タカナ、ブロッコリーを出す。スナックエンドウとキャベツの苗を植える。もう発芽しないと思っていたホウレンソウやナバナの芽がでてきた。イチジク、栗の剪定。図書館にて本を借り出し。夕飯後福居夫婦が来宅。
2024年12月5日(木)室温7℃
出荷なし。冷えていたので若桜の温泉まで行く。峠は気温4℃、雪が何時降ってもいい冷え込みであった。入浴料は200円で小さなひなびた温泉である。客は少なかった、よく温まり道の駅で自家製弁当を食べる。美味しそうな柿を購入、絶品であった。昼過ぎには帰宅して洗車をする。
2024年12月6日(金)
冷え込んで寒い朝。自然薯、ヤマノイモ、柚子、ダイコンを出す。イチジク剪定の残渣を処理する。外出せず安藤優一郞著「大名格差」を読む。幕藩体制のリアルな実態を知る。
2024年12月7日(土)
一級の寒波がやってくるとの予報である。今朝は自然薯、ハクサイ、柚子、ブロッコリーを出す(完売)。警蹕(けいひつ)という言葉を知る。将軍が姿を見せる時、諸大名に「しー」とだまらせるこの「しー」のことを言うらしい。無始無終、永遠の時間帯で「今」があり、悠久の宇宙空間の中で「此処」がある。その「今、此処」に人として自分が生命をうけていることは何たる奇跡であろうか。それを自分も含め、誰も自覚することなく日常の些事に右往左往している。何と愚かなことである
2024年12月8日(日)
出荷物はほぼ完売。断続的に雨が降りどうしょうもない。昼に姉と清吾がやってくる。姉も老化は隠しようもないが日々の仕事があるので何とか健康を保っているのだろう。光がやってくるが肩の痛みが続いているようだ。諸行無常、誰もが明日も今日と変わらないということはあり得ない、自然の流れなのである。
2024年12月9日(月)
出荷はなし。姫路、鷹谷家にお参りの返礼に寄る。この家も家族関係が火宅に近い。相手の立場に立たず自己主張するばかりだとどうしても火宅に陥ってしまう。高嶋宅、元気にしていたので安心、親はいつまでも子どものことを案ずるものだ。
2024年12月10日(火)
自力と他力(本願力)について思考する。普段、誰もが自分の力で生きていると思っているだろう。本願力をいくつかに分類してみた。①食料本願力(日々の食料はほとんどが自分で作ったものではない)②体内機能本願力(咀嚼、消化、吸収、血流、搏動、内分泌、神経、脳、排出・・)③社会本願力(妻、子ども、孫、両親、祖先、兄弟姉妹、親戚、友人、学校、恩師、メディア・・)④無機物本願力(空気、水、大地、気温、日射・・)⑤大宇宙本願力(地球、太陽系、銀河系、宇宙空間、時間流)このように分析してみれば、このうちどれが欠如しても我々は寸刻たりとも生存できない、即ち本願力によって今在ることを悟らねばならない。そのことを南無不可思議光如来、南無阿弥陀仏と唱える所以である。
2024年12月11日(水)
千里は百歳体操に参加する。その後、近所の同世代と宮山へ行く。それぞれの家が悩みを抱えているようだ。自然薯、サトイモ、カブラ、激辛トウガラシを出す。エンドウの移植を完了する。ダイコンを掘る。午後は悪天候で何もできず。村上嵐著「島津の空帰る雁」を読む。
2024年12月12日(木)
傘寿を生きてきてつくづく思うのは自分の一生は万事、他力(本願力)に依るものであったということだ。この国に生まれ、どのような父母のもとに、どのような家族に育まれ、どのような人々とかかわってきたかは全く己の力に依るものではない。午後、水墨画教室に参加する。寒波がやってくる。
2024年12月13日(金)室温7℃
今日もダイコン、自然薯などを出す。山崎のイオンにて食料品を補充する。「島津の空」を読了。近所の嫁、腎臓を患って入院したそうだ。若さを恃み剛健さを恃み無理をすることが病のもとである。ダイコンと自然薯を掘る。
2024年12月14日(土)
みぞれ混じりの雨が降る。赤穂浪士、吉良邸討ち入りの日である。遅くからダイコンなど出荷する。ダイコンが少し残る。時雨で終日屋内生活、タクワン漬け用に食塩、酢、砂糖を購入する。昼はニシン蕎麦をつくって食べる。光が3時頃にくる。
2024年12月15日(日)
昨夜は映画「忠臣蔵」を観たので眠ったのは12時頃だったのだろう。大石内蔵助が田村正和、吉良が西田敏行、ちょっと逆の感じ、配役でずいぶんイメージが変わるものだ。凍ってしまわないうちにダイコンを掘って防寒対策をする。伊和へ歳暮の返しを持って行く。千里と姉がよくしゃべる。
2024年12月16日(月)室温6℃
放射冷却で冷え込んでいる。ダイコン5kgに食塩300gを入れて塩漬けをする。水があがれば砂糖と酢で本漬けをする予定。山崎の篠の丸で昼食する、古い食堂だが結構美味しかった。日射がさえぎられ寒風が吹き寒い一日であった。里芋の防寒対策をする。
2024年12月17日(火)室温4℃
今冬一番の冷え込みで大霜、菜っ葉類は全部しおれている。千里は栗山さんと龍野まで行く。今のところ一番気が合う人のようだ。カブラの千枚漬けをする。詩を書こうと思っていたが前に進めず。
2024年12月18日(水)
百歳体操の日、千里は参加する。千字文を再開している、筆、墨、半紙、筆を固くもつか柔らかくもつかで字が違ってくる。柔らかく持つ方がなめらかな字となる。田井へ歳暮、20年ぶりに千里のダウン冬オーバーが帰ってきてよかった。エンドウの防寒対策をする。
2024年12月19日(木)
根拠の乏しい因果関係が世の中に横行している。特に病気に関してのものが多い。「○○病」になりやすい食物、習慣とか、「○○病」にならない食物、習慣などを病院長などと称する人が投稿しているのをみかける。糠漬けタクワンを我流で漬け込む。自転車の空気入れを修繕する。浅田次郎著「終わらざる夏」を読む。
2024年12月20日(金)
北九州の通り魔、千葉県柏市の殺人放火の容疑者も逮捕された。何時の世にも不満分子、精神疾患の人間がいるものだ、それが何処に潜んでいるかがわからない。千里はコーラスの打ち上げ会。スダチを収穫し、グミの剪定残渣を処分する。嵯峨山の下村裕啓先生が数日前に亡くなられていたとのこと。
2024年12月21日(土)冬至
久しぶりに食彩館に激辛トウガラシ、カブラ、スダチを出す。終日寒い曇天、室内で暮らす。夕方姫路ウインクから電話の故障修復に来てもらう。受話器のコードが原因で交換すると無事通話可能となった。修理が大事にならないでほっとする。
2024年12月22日(日)
時間感覚の長短を考えてみた。①誕生から20才まで②21才から40才まで③41才から60才まで④61才から80才まで。①~④まで分けて思い返してみる。まず①の感覚は思い出が多くあり人生の基礎を為した時期であり大変長く感じた④については人生の結実期で日々充実していたが①にくらべて変化も少なくあっという間の気がする。
2024年12月23日(月)
宮山に掲示する作品「鍾馗」の仕上げをする。裏打ちはアイロンでなんとか仕上げることが出来た。カブラを出荷する。結束器の具合がよくなくて手間がかかった。2本目のグミを剪定し残渣を処置する。私にとってはこの時期でも何かすることがあるのが心身の保健にとって必要なのだ。田井から夕刻に来宅する(歳暮のお返しと賢三さんの子守を兼ねて)との電話があったが千里は「出かける用事がある」と言って断る。晩の果てに身体の動きもままならない義兄を軽トラに乗せてうろうろしない方がいいと思う。
2024年12月24日(火)
喫茶「味や山」の水墨画掲示の張り替えに行く。私の作品は予定していたものと異なり2日前に描いた「鍾馗」を掲示する。後で喫茶店のおごりでコーヒーとケーキをよばれる。それから姫路まででかける。Ceriseは大忙しで昨夜は3時間睡眠という、無理だけしないように願っている。
2024年12月25日(水)
千里は百歳体操に出席する。後で茶話会なるものがあるらしい。今日は54回目の結婚記念日である。健康で迎えられたことに感謝する。グミの剪定、鉢植えイチジクを畑に移植する。昼は一宮道の駅で食べる(値段がはね上がっているのに驚く)うどんやソバでも1000円を超えている。インバウンドや賃上げに呼応して値上げしているのだろう。預金利子は長らく据え置かれてお金の値打ちが段々無くなってくる。
2024年12月26日(木)
赤穂の大石神社、赤穂城を散策、中国の兵馬俑風の義士像、美しく積み上げられた城壁の石垣、大石内蔵助屋敷跡や武家屋敷跡などを見て回る。赤穂イオンに寄る。山陽道の高速を通らずに何十年ぶりか有年峠を越える。
2024年12月27日(金)
「一切皆苦」この世に起こるあらゆる事象は避けようがない、なるべくしてなっているということをまどろみながら思考する。いわば全てが必然であり自然の法則に反する事象は起こり得ない。たとえばロケット打ち上げが失敗炎上した場合、これには必ず失敗を必然とする原因があり、その原因に基づいて失敗炎上したわけである。空間を漂う塵埃の不規則に見える動きさえ厳密な物理法則に則っているはずである。
2024年12月28日(土)
午前中は陽が射さず冷蔵庫状態である。「帰命無量寿如来」とは有限無常の時間、空間の今生世界から無限、恒常の根源的いのちの世界に帰りなさいという呼びかけである。聖徳太子の「世間虚仮、唯仏是真」と同義である。裏山で榊とユズリハを採る、自然薯2本掘る、糠漬け用にタカナを収穫する。
2024年12月29日(日)
曜日の感覚が欠落している。今日の思索は生命の始原である。一般的には迂遠の過去世に無機物から長時間かけて生命の素となる有機物が生まれてそれが悠久の時間をかけて進化して多様な生物を生みだしたという。しかし無機物から生命をもつ有機物が偶然生じることは考えられない。ならば生命の素になる有機体はこの世に始めから普遍的に存在していたとしか考えられない。人間の思考にはすべての事象に始まりがあると思い込んでいるが時間、空間は無限大で果てが無いように、それは人間の思考を超越(不可思議)している。地球上の至るところに存在する石灰岩、大理石は太古の生物の遺骸が化学変化の後、堆積したものであり、石油。石炭や天然ガスも同様である。いかに繁茂した生物も様々な天変地異により絶滅を繰り返してきた。我々人類も種として必ず絶滅するだろう。人類文明が後世に残す物は原子炉や核弾頭由来の強力な放射線であり、やがて放射線を好餌とする新たなる生物が地球上を席巻するかもしれない。千里は正月の花を生ける。昨日採取したタカナの糠漬けをする。袋が小さかったので直接樽に漬けたようなことになった。
2024年12月30日(月)
韓国で悲惨な航空機事故が起きた。原因はバードストライクとされているが着陸用の車輪が出ず、制御不能の状態で胴体着陸をしたのだろう。その間乗員、乗客の恐怖は如何ばかりであったろう。世の中一寸先は闇である。コープにて買い物、帰宅したときにあおい、さくら、創君が来宅する。久しぶりだったのでしばらく談笑する。
2024年12月31日(火)大晦日
無事2024年も過ごすことができました。有難い限りです。山崎イオンへ一番に年越しソバの材料を買いに行く。一番だったので客もまばらでレジもすいすいであった。感謝すべきもの(父母、祖先、肉親、交流のあった人々、社会全般・・)は勿論だが、自分の意志にかかわらず自分の体内で機能している諸器官のはたらき、水、食物、空気、太陽光など自分を生かすために存在する事柄を統括している目には見えない大自然(根源的な命、如来、神)に感謝しつつ越年する。
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